2016年3月31日木曜日

鎌近のこす会とは ★最新の投稿はひとつ下からご覧ください★

▼「鎌近のこす会」の情報発信

周囲の方との問題意識を共有に、ぜひご活用ください!
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*鎌近(かまきん)は、鶴岡八幡宮の境内に建つ、神奈川県立美術館の鎌倉館のこと。長年地元で親しまれてきた愛称です。

▼「鎌近のこす会」のこれまでの活動

(2015年11月までのまとめ、その後はブログ記事をご覧ください)http://kamakin.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html

 

▼「鎌近のこす会」とは?

鶴岡八幡宮の平家池のほとりに建つ神奈川県立近代美術館は、2016年3月末で土地の賃貸契約が終了します。神奈川県は、2015年度末で閉館、取り壊しという方針を打ち出しました。
その後、本館棟を土地所有者の鶴岡八幡宮に委譲し、保存することとなったものの、1966年にできた鎌倉内新館棟(注1)は、県が取り壊す方針で、保存される本館の今後の使用方法もはっきりしません。
県は市民からの建物保存の声に応えたというが、美術館機能の停止については応えていないし、県民との話し合いも行われていません。
このグループは、2016年3月になくなってしまう危機にある、神奈川県立鎌倉近代美術館を残したい人たちの有志の集まりです。
美術や建築の専門家も、一般の市民も参加した、公開グループです。
近代美術館の役割、美術品が存在する意義、美とはなにか。解決しない山積みの問題に向き合い、問い、考え続けることと、県に対して美術館廃止に反対する運動、2つの両輪を軸に活動しています。
これまで、美術館の存続という観点だけでなく、美術とは何かという視点から、鎌倉近代美術館フィールドワークや5回のプチシンポジウム、県議会議員候補への公開アンケートの実施、県議会への陳情などに取り組んできました。
また、10月に開催した第5回のプチシンポジウムにて、12月の議会に取り
上げてもらうために、より多くの人に問題を伝えるために、会として陳情を作成し県議会に取り組みを求めることになりました。
現在の「鎌近のこす会」というグループの考えを伝える文章として、以下、陳情の本文を転載します。
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鎌倉近代美術館の存続を求めることについての陳情
(1)県立鎌倉近代美術館について、建物の保存とともに、これまで同様、美術館として運営していただきたい。
(2)そのために、県として鶴岡八幡宮と協議していただきたい。
陳情の理由
(1)鎌倉近代美術館は、地方自治体が運営する公立美術館として国内最初のもので、戦後の美術文化復興の第一歩を示したものといえます。
これまで、各地に公立美術館がつくられ、それぞれの美術文化の普及・発展があるのは、その先駆けとなった鎌倉近代美術館があってのことといえます。
鎌倉近代美術館での展示は、県民・市民だけでなく、全国の美術愛好家や観光で鎌倉に訪れた方々にも親しまれてきた貴重な施設です。
(2)美術文化の成果は、人々の心のうちに培われ育まれていくもので、数量的にははかれないものです。一時の経済的事由のみで廃止するのであれば、これまでの成果を失うだけでなく、将来にむけても損失を生むのではないかと思います。
これまで県として尽力され、鎌倉近代美術館が果たしてきた美術文化への多大な貢献を考慮いただき、ぜひ美術館として存続できるようお願いします。
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また、5月に、鎌倉市に住む市民らによって行われた、鎌倉近代美術館の存続を求める署名活動の本文も、合わせて転載します。
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鶴岡八幡宮境内に在る鎌倉近代美術館として親しまれてきた、「神奈川県立近代美術館鎌倉」(以後鎌倉)の建物と景観を維持保全し、鎌倉館が蓄積してきた歴史を受継ぎ、文化を発信する拠点として活用されることを、関係各位に要望いたします。
鎌倉館は1951年(昭和26)に敗戦後の混迷の中から、新たな文化的拠点として創設された、パリ、ニューヨークに次ぐ世界に先駆けた近代美術館であり、また日本初の公立美術館として、その後全国に創られた国公立美術館の礎となりました。開館以来展開された企画展覧会は、市民県民はもとより、全国の人々に新しい形で文化を提供し続け、有機的な機能を果たしてきました。
鶴岡八幡宮の歴史的環境にモダンな近代美術館が融合し、建物が源平池の水面に映える風景は、古都鎌倉を象徴しています。60余年の歳月を経て私達の生活に刻まれあt鎌倉らしい貴重な文化環境です。
同館は、建築家坂倉準三氏の戦後モダニズム建築の傑作であり、設計意図が鶴岡八幡宮の風景に生かされています。世界的にも高く評価され、今年2月湘南国際村で開催された第六回21世紀ミュージアムサミットの席上最後に、フランスの元文化大臣ジャック・ラング氏が「鎌倉のサカクラの美術館を遺して欲しい」と発言しています。
神奈川県と鶴岡八幡宮の間に交わされている美術館立地の借地期限2016年(平成28)3月の返還契約では、「施設を解体撤去し更地にして返す」としています。一度失ったら取り戻せない有形無形の計り知れない財産です。関係各位が柔軟な発想による新たな枠組みで問題を解決され、鎌倉館の建物と景観を維持保全し、活用されることを願い、賛同人、署名人の声を代表して本要望書を提出する次第です。十分なご配慮を切にお願い申し上げます。
以上。
注1
新館は、DOCOMOMO Japan(モダン・ムーブメントに関わる建築や環境形成の記録調査および保存のための国際組織)の選定建物で、旧館とともに、日本を代表するモダニズム建築。建築家板倉準三の意図は、本館と新館を合わせて完成されていた。2007年より耐震の問題により公開されていない。
以上

2016年2月25日木曜日

7回プチシンポジウムの報告記事

2月7日に開かれた、鎌近のこす会主催の「プチシンポジウム〜どうなる?どうする?鎌倉近代美術館」の報告記事が、掲載されました。
 
「新かながわ」より、共有します。
 
昨年5月の大きな署名運動の呼びかけ人藤本さん主演の、ドキュメンタリー映画『鎌倉に叫ぶ!』の上映も。
のこす会らしく、さまざまな意見が飛び交う会となりました。
 
次回は4月17日の13:30より、大船にて開催されます。
ご関心のある方のご参加、お待ちしています。

 
 
 
 
 
 
 
 

2016年1月29日金曜日

第7回プチシンポジウム「どうする?どうなる?鎌倉近代美術館」開催

いよいよ今月末で閉館してしまう、鎌近。
今、私たちは何を考え、どう行動したらよいのでしょう。

知る、考える、話す、という「鎌近のこす会」らしい集まりです。

じっくりと話すことで、自分の中から見えてくる何かを。
来ていただけたら、きっと何かが変わる気がする、
私にとってはそんな場所です。

この問題に関心をよせるたくさんの方と、考えることができる場となりますように。

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第7回プチシンポジウム「どうする?どうなる?鎌倉近代美術館」


鎌倉近代美術館閉館に対する勉強会と反対運動という両輪が回る「鎌近のこす会」のプチシンポジウム7回目です。
署名運動が実際に活発に行われています。その報告もありますが、勉強会の側面が重視されます。
皆様ふるって御参加下さい。

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日時:2016年2月7日(日)13時30分-16時30分。
場所:ゆるこや JR大船駅より 徒歩12分。
神奈川県鎌倉市大船5-3-8 0467-45-4671
http://yurukoya.com/
FBイベントページ
https://www.facebook.com/events/1689253141352662/
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一九五一年に、日本で初の公立近代美術館として生まれた神奈川県立近代美術館鎌倉館(通称・鎌近)が、二〇一六年三月に閉館します。今日、世界的に評価の高い建物だけ残そうという声をよく聞きますが「公立の美術館としての現状を維持すべきだ」という意見は出ません。契約満了ならしかたがないというあきらめがあるのでしょうか。

確かに神奈川県は50年前の契約により、鎌近を壊して更地にした土地を鶴岡八幡宮に返還しなければなりません。すると、全ての判断は鶴岡八幡宮にあると思われますが、実は神奈川県は財政難を理由に美術館、図書館を含む文化施設の大半を手放そうとしています。

つまり、神奈川県は契約を理由に自らの愚行を隠蔽していると解釈できるのです。坂倉準三は美術館として機能するように、建物を設計しました。例えばプールはプールであって、プールを食堂にすることは出来ないのです。鎌近は公立の美術館でなければなりません。
今日、美術と関係のない暮らしをしている方々にとって美術は「高尚」だと敬遠され、美術に深く携わる人々は美術の自律性を求める為「政治」との関わりを厭います。しかし美術も政治も人間の営みとして考えると同じことであり、我々が生きることに不可欠なのです。
鎌近の建設当初の理念は、民主的な日本の美術を世界に発信し、世界の美術を日本で受信することにあったので、「鎌倉」という地域を限定することはありませんでした。つまり日本の民主主義の宝を鎌倉が保持し、世界に発信していると言い換えることができるのです。
この問題について皆様が意見を発言し、交換する場を設けました。活発な交流をしましょう。
(宮田徹也)

▼ゲスト
古澤潤(ふるさわ・じゅん/一九三一年~)武蔵野美術学校卒業。日本アンデパンダン展、ヨコスカ平和美術展、イギリス・ミルトンキーンズ市で作品展示。主として個展で発表し続けている。
首藤教之(しゅとう・のりゆき/一九三二年~)1950年代後半に岡本太郎・武満徹・花田清輝ら主宰の「現代芸術の会」の活動に参加。1995年以後、福岡空襲をテーマにした焼夷弾のインスタレーション作品を各地で展示。個展、グループ展多数。
山野辺明(やまのべ・あきら/一九四五年~)福島生れ。18年間神奈川県の歴史編纂事業で県内各地を調査。教育・文化行政に永年従事。ヨコスカ平和美術展発起人。
宮田徹也(みやた・てつや/一九七〇年~)横浜国立大学大学院修了。岡倉覚三、宮川寅雄、針生一郎を経て敗戦後日本前衛美術に到達。ダンス、舞踏、音楽、デザイン、映像、文学、哲学、批評、研究、思想を交錯しながら文化の【現在】を探る。

▼鎌近のこす会とは?
私が週刊新聞新かながわで神奈川臨調の問題を掘り下げていた際に、浅賀さん、古澤さん、首藤さんと何か出来ないかと会は発足しました。私達の立場は当然、鎌近を公立美術館として残し、新館を補修して坂倉準三が設計したとおりの姿に拡充すべきだと思っています。廃館が決定されているとしても、市民、県民、国民の声によって覆せばいいのです。
それは私達の発想であり、単に残す/残さないという答えを出すので
はなく、様々な方々の、様々な意見を民主的に交換したいのです。ですので「美術館に行ったことがない」「美術に興味がない」「税金の無駄遣いだ」という意見も尊重します。二ヶ月に一度ずつ行ないます。どなたでもお気軽にお越し下さい。(宮田徹也)

▼これまでのプチシンポジウムの内容ダイジェスト
part1報告:四〇人近い方々が参加しました。首藤さんが画家として「人に何かを伝えたい」と口火を切り、山野辺さんが鎌近設立当初の理念を解説し、古澤さんが一九五六年当時の画家達の苦悩を語り、会場からは建築の立場、開かれた会の方法論、出席して美術館に行きたくなった等、様々な発言が飛び出しました(きのおうち ゆるこや/二〇一五年二月二二日)。

part2報告:第一回に引続きナビゲーター四者が話をしました。私は県と鶴岡八幡宮の土地借地契約終了に伴い神奈川県立近代美術館鎌倉館が消滅することよりも、県財緊急財政対策によって別館と葉山館に「集約」されて美術館活動面積が減ることを危惧しました。画家の古澤潤さんは、美術館が公立であるのなら作品を見せて「貰う」のではなく市民は作品を共有すべきだと提案します。美術館とは、動員人数や売り上げで地方自治体が「評価」するものではない。市民の側から美術館像を形成しなければならないと指摘しました。県の歴史編纂事業を行なった山野辺明さんは、建物をコンペティションで決めたのは当時画期的で、民主主義の始まりであると再評価します。建設した五〇年ごろとは今のように深く岩盤に基礎を打ち込むことはなく、国史跡の土地を掘れない法律がなかったことを説明します。坂倉の設計に県が口を出せず、大理石を活用した建築の美しさを説きました。画家の首藤教之さんは、美術家は自己の制作、生活に追われ、美術館とは遠い存在であることを明かします。美術館が単なるゼネコンに過ぎないのではないかと、絶望もします。江ノ島の女性センターの跡地をカジノにすればいいと本気で考える人がいる話を引き合いにだし、美術館に多くの人々が関心を持つ事を願います。

part3報告:第三回「鎌近のこす会」が、六月二八日(日)、鎌倉・きのおうちゆるこやで開催されました。県の歴史編纂事業を行なった山野辺明さんは、神奈川県立近代美術館の九〇年代から今日までの動向を客観的に説明しました。画家の古澤潤さんは、自己の戦争体験と今日の現状が重なることを指摘し、文化芸術懇話会の失言を見過ごしてはならないことを強調しました。画家の首藤教之さんは、閉館後の美術館は市民の意識を大切にすべきなので、運営者は市民との対話を大切の場をつくるべきだと指摘しました。「鎌近のこす会」は「美術館とは、美術とは何か」と「鎌倉近代美術館の機能を残す」という二つのことを議論しており「機能を残す」ことについて具体的なプランを立てるべきだ、鎌倉に美術館があることすら知らない人がいるのでもっとアピールをすべきだなど、会場からの多くの意見が寄せられました。確かに県の予算計画を考えると今年の九月までにはどうにかしなければなりません。しかし神奈川臨調の方針がこれから更に縛りを厳しくすれば、別館も葉山館も、かながわ女性センターのように廃止の方向へむかいます。完全に美術館が消滅しないための闘いは始まったばかりなのだと私は自覚しました。

part4報告:降り頻る小雨の中、国会で12万人のデモが開催されている同じ時間に、大船・ゆるこやで第四回「「鎌倉近代美術館がなくなる」ことはどういうことか」(主催:鎌近のこす会)が開催されました。
県議会議員の大山奈々子さんが、現在の政治の状況、神奈川臨調の対象である各施設の動きなどを細かく説明しました。県民に断りなく閉館にする暴挙にどう立ち向かうか、美術館とは何を生み出すのか、潰すことは何を意味するのかという議論に敏感に反応しました。
元県職員の山野辺明さんは先日鎌近に訪れ、学生はいたが外国人が少なかったことを報告しました。鎌倉駅に鎌近のポスターはなく、マスコミの反応がないので県民ですらも美術館に対する意識が向かないことを指摘しました。
美術家の古澤潤さんは美術館の所蔵品に注目し、ヒューマニズムの傑作という国民の財産である美術の力を信じ、もっと強気に運動を推進すべきだと発言しました。作品があり、展覧会がなければ美術館の意義は生まれてこないのです。
参院選神奈川選挙区候補の浅賀由香さんは、自らの育児体験を語ります。幼稚園に入ると、「上手な」絵の見本を子どもたちが「なぞる」そうです。この頃から「考えない」教育が施されていくことに危惧をします。
美術家の首藤教之さんも浅賀さんの発言に同調し、世間のどの現場でも「考える」人が「鬱陶しい」扱いをされ、「従う」人間が形成されている状況に苦言を呈します。美術館閉館問題は、考えれば考えるほど、複雑であることが明らかになっていくのです。
会場からも多くの発言がありました。美術家は世の中で何があろうと作品を作り続けるので運動はしない、美術館の企画とやる気が甘い、鎌倉に美術館があるのが当たり前であるという教養の高さを示すべき、美術とは良し悪し、好き嫌いも自由に議論できる場である、もっと情報化社会の性質を上手く利用すべきだと、熱の籠った議論となりました。

part5報告:「鎌近のこす会」五回目を数え、パネラーがナビゲートするシンポジウム形式から、参加者が積極的に発言する討論の場に大きく変化しました(10月18日/きのおうちゆるこや・大船)。鎌倉だけではなく横須賀、足柄などの県内からアーティストや美術愛好者、果てはゆるこやを通りかかった人が足を止めて参加しました。
今回の大きな収穫は、どこにも所属することなくたった三人で美術館存続の署名活動を行った一人、藤本美津子さんの報告でした。様々な障害を乗り越え、紆余曲折を経て署名運動に至った過程は、神奈川県立近代美術館閉館反対運動を行う上で、とても参考になりました。百人いれば百の意見があり、それぞれの意見を尊重することも大切ですが、まずは自分たちの主張を強く持たなければならないことを確信したのです。
美術館に人が集まらなくとも、国民は金を使ってでも優れた作品を見たいという欲を持っている、デモを見ていると60年代と比べて日本人が持つ政治に対する意識の変化を感じる、怪しい民主主義がやっていけなくなっている、そもそも民主主義は多数決の決議であるから、民主主義自体をもっと懐疑してもいいのかも知れない、公立とは何か、社会の営みとは何かと目まぐるしく論点が変化し、開かれた議論が実現しました。
今回の「鎌近のこす会」でも、個々の意見は全く異なる見解でしたが、「鎌倉の美術館を残そう、決定した事項であったとしてもこの意思を貫き、多くの人に伝えよう」という主張は一貫しました。
美術や美術館に詳しくなくとも、いま、ここに生きる者であれば、自由に自己の意見を発言する権利があるのです。

part6報告:12月13日、大船・木のおうちゆるこやで「第六回 どうなる?どうする?鎌倉近代美術館」の勉強会が開催されました。
主催の「鎌近のこす会」の方針は、署名などの反対運動を繰り広げる実践と、美術館の必要性から美術を経て人間が生きる意味を問う勉強会という二つの側面を持ちます。
まずは「鎌近のこす会」の栩山由美さんが11月の日曜日に神奈川県立近代美術館鎌倉本館前で行われた署名運動と主催メンバーが集めた署名、合わせて601名分の陳情書を12月4日、県に提出したと報告しました。
会場から「議員が世の中の全てを理解している訳ではないので、鎌近の状況を分かりやすく伝えなければならない」という提案があり、「鎌近のこす会」メンバーの古澤潤さんは「安倍首相は国民を、自己を持つ『個』から傍観者である『人』に言い換えている」と指摘し、首藤教之さんは「敗戦後直ぐ同じ家に一緒に暮らした他の世帯の人がかけたクラシックレコードの感動が忘れられない」と思いを馳せ、山野辺さんはかつて活動していた青少年センターが役割を終え、今日、複合施設になっていることを危惧しました。

美術の知識がなくとも参加と発言が可能です。ふるってご参加ください。
以上です。

2016年1月6日水曜日

大山奈々子議員からのご報告の共有


 
のこす会が提出した陳情は、県議会の「文教常任委員会」にて審議されました。
神奈川県議会議員で、文教委員会の委員でもいらっしゃる大山奈々子議員が、委員会での質疑について、FBのグループに報告をあげてくださいました。

論点をわかりやすくご説明いただき、委員会の質疑でも鎌近の閉館について大きくとりあげてくださって、陳情を提出した私たちとしてはとてもありがたいです。

以下、大山議員から投稿された文章を、このブログでも共有いたします。
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陳情結果について会からご報告をいただきました。不了承となったこと、力及ばずすみませんでした。
県議会では鎌近廃館は既定の路線として受け止められています。
私たちの団は4月に4年ぶりに議席を取り戻し、空白だった4年間で当事者や県民に説明不足のまま、県立川崎図書館、女性センター、鎌近など閉館の方向性が全会一致で決められてしまっていました。
5月以来何度か鎌近を取り上げましたが、廃館やむなしという方向は変わりませんでした。600人を越える方から鎌近の陳情が出されたことを受けて、再度、以下の点を挙げて計画の見直しを迫りました。
①県民にどれくらい説明してきたのか、十分ではない。
②根拠とされる鎌倉市鶴ヶ丘八幡宮史跡保存管理計画《史跡にそぐわないものとしての現状変更は認めない》は鎌倉市当局に尋ねると法的拘束力はなく、鎌倉市としてはコメントできないとされている
③この計画を策定した文化庁は、「鎌近建設後に策定された計画なので、建物は既存不適格なものといえる。計画の趣旨は、史跡を大幅に破壊する形での改修を認めないというもの」史跡を破壊せずに改修するなら中身が宝物館でも美術館でも問わないと受け止めていいですかと尋ねると、県にご迷惑がかかるからと遠慮がちに、しかし「そういうことになる」と回答されました。
④文化資源学会のシンポジウムで16,000の署名を集めた建築士の方が、鶴ヶ丘八幡宮に尋ねたさい、閉館は県の意向だとはっきりお答えになったと。
県の主導で閉館ありきで動いてきた計画だと言えるのではないかと見直しを求めました。
しかし県側は、いちど内装工事をした際に、文化庁から美術館としては改修はいけないと指摘されたと答弁がありました。
また、美術館として改修許可を得るには文化庁長官の許可がいるのだと。
それならそれは許可を取ればいいと私は思うのですが、内装工事の時の文化庁の見解と私が記念物課に尋ねた際のズレが気になるところです。
陳情採択の場では了承1、不了承多数でした。
今後ともみなさんの思いに寄り添って頑張りたいと思います。
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以上です。
 
今月1月末で閉館してしまう、鎌近。
私たちは、今、何を考え、どう行動するべきか。
鎌近のこす会の次回シンポジウムは2月7日(日)の午後、大船での開催を予定しています。
 

2015年12月31日木曜日

ご報告:県議会に提出した陳情についての審議と採択がおこなわれました

ご協力いただいた「県立鎌倉近代美術館の存続を求めることについての陳情」は601名の方々が提出者となり、県議会12月議会に提出しました。
12月17日に文教常任委員会で審議され、結果は残念ながら「了承」(1名の議員が「了承」)となりましたが、このプロセスを経ることで、閉館の問題について多くの方にお伝えすることができ、議会にも疑問の声をしっかりと伝え、記録にも残ったことに、意味があったと考えています。

また、陳情の内容について、委員のみなさまに直接口頭で説明させてもらえる「口頭陳情」もしてきました。
提出した陳情の説明として、以下5点を説明し、
ー美術館としての運営の継続
ー県と八幡宮の協議と、その内容の公開
をお願いしてきました。
ーーーーーーー
1▼取り壊し予定の旧館が、新館とあわせて世界的に評価されているモダニズム建築であること
(FBで寄せていただいた11月のライトアップの写真と、ミュージアムショップで買ったポストカードを、議員さんにおみせしました)
2▼鎌倉館は日本初の「公立」美術館で、「誰かが決めた美しいものをみせてもらう」から「何が美しいかはひとりひとりが決める」という発想の転換があったこと。
ユネスコの憲章前文「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心に平和の砦を築かなくてはならない」の思想を受けつぎ、人間の尊厳をふみにじるような戦争のあとで、平和の砦を築く手段として鎌倉に美術館をつくろうという、高い志のあらわれで、歴史的な宝。
3▼県民にとどまらず、全国の美術愛好家や観光で訪れる方にも親しまれてきた施設。署名の際も、京都造形芸術大学のゼミでわざわざいらした方、建築家の学生さんも熱心に写真を撮影、神奈川県なぜこんな貴重な美術館を閉館するの?という声。
神奈川県が推進するマグカル事業(*)の趣旨にも、ぴったり合致する美術館。
(*神奈川の文化そのものがマグネットとなって、人をひきつけ、街に魅力と賑わいをもたらすマグネットカルチャー(マグカル)事業/HPより引用)
4▼まだこの閉館問題について県民によく知られていないこと。「えー、閉館しちゃうの?」との声たくさん。これで決めてよいのか
5▼文化や芸術の成果は、人の心に培われるもので、数値では測ることのできないもの。一時的な経済理由での廃館は、将来への大きな損失であること。
ーーーーーー
委員の皆さまに、美しい鎌倉館の写真をお見せすることができて、よかったです。

また、傍聴にも独特のルールがあり、
*10時までに陳情の申込が必要
*委員会の休会?中は、再開時間不明のため、各自携帯番号を伝えて待機(4時間以上待ちました!)
*陳情の採択(了承か、不了承か)部分しか傍聴することができないので、委員さんの考えをよく知ることが難しい
など、実際に体験してわかることも多かったです。

今後は、これまでに取り組んできた方々を含め、どのように働きかけ取り組んでいくか、模索していく必要があると感じているところです。今後ともどうぞよろしくお願い致します。



2015年12月13日日曜日

うれしいご報告/館長水沢さんトークイベントなどお写真


きのう、のこす会のツイッター宛に、
館長の水沢さんのトークのご様子をおさめた美しい写真をお送りくださった方がいらっしゃいました。

みなさんとのシェアをお願いしましたら、実名での共有を快くご承諾いただきました!
とても励みになるできごとでした。
下田さま、ありがとうございました。

ここに掲載した2枚は、トークの様子。

他の美しい写真は、下のリンクから、ご覧いただけます。

ぜひ、美しい鎌倉館の様子を、ご一緒に。

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下田 浩誉さまより。

アルバム「さよなら神奈川県立近代美術館 鎌倉館」
「鎌倉からはじまった。1951-2016 PART3」展、館長の水沢勉さんによるトークとともに。


2015年12月11日金曜日

知識をふかめるシリーズ2:「神奈川臨調を考えるー芸術を生み、育む側から」

鎌近のこす会は、知ること・考えることと反対運動の両輪を大切にしています。

今回ご紹介するのは、連載「神奈川臨調を考える」です。
代表の美術評論家・宮田徹也さんが2012年からこの問題について取材をつづけて書かれた連載のひとつです。
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『オピニオン 神奈川臨調を考えるー芸術を生み、育む側から』新かながわ社、2013年4月

「道切り開いた鎌倉近代美術館 青木茂」同新聞2186号、2012年10月7日
「理念に立ち返るべきだ 藤嶋俊會」同新聞2192号、2012年11月4日
「文化は長い目で考える/美術館は鑑賞眼が育つ場 森田彩子/稲木秀臣」同新聞2202号、2013年1月6日
「文化が経済を創造する フランシス真悟」同新聞2205号、2013年2月3日
「人間にパワーを与えるのが芸術 中村英樹」、同新聞2209号、2013年3月3日
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ネット上でのみなさまとの共有を快くお許しくださった、新かながわの編集長瀬谷様、本当にありがとうございます。

「鎌倉近代美術館がなくなるとはどういうことなのか」を、まずはひとりひとりが考える。そしてひとりひとりができることを積み重ねていく。
芸術の力が確かに存在するように、鎌倉館を美術館として残す未来をつくりだす力が、私たちにはあるのではないでしょうか。
皆さんとご一緒に、鎌倉近代美術館が、美術館として残り続ける未来をつくりたいです。